ただ一人、ボルゲリ地元の農家として世界に名を轟かす造り手
『レ・マッキオーレ』は、「サッシカイア」、「オルネッライア」などイタリアを代表する名だたるスーパー・プレミアム・ワインを生み出す銘譲地・ボルゲリの地に門を構えるワイナリー。
商家の息子として誕生した巨匠、故エウジェニオ・カンポルミ氏が、1983年に設立しました。彼は貴族がその大半の地を所有する中にあって、ただ一人、地元の農家として世界に名を轟かすカンティーナを造り上げました。
1991年、「パレオ・ロッソ '89」を発表。1995年には「パレオ・ロッソ ‘92」がイタリアワインの見本市「ヴィニタリー」にてサッシカイアやオルネッライアなどを差し置き、ボルドーのメドック格付け2級でスーパー・セカンドと呼ばれる、シャトー・ピション・ロングビル・コンテス・ド・ラランドに次ぐ2位に輝きました。これがレ・マッキオーレの華麗なる歴史の幕開けとなります。
その後メルロー種、シラー種による単一品種でのワイン、それぞれ「メッソリオ」、「スクリオ」を世に送り出し、これらが押しも押されぬプレミアム・ワインとしての名声を確立すると、これらに引き続いて2001年、それまでサンジョヴェーゼ種、カベルネ・ソーヴィニヨン種等との混醸であった「パレオ・ロッソ」を、カベルネ・フラン種100%で造り、やはりワイナリーを代表するブランドとして完成させました。
エウジェニオが一番初めに自分の畑に植えた記念すべきブドウ、ボルゲリという土地における大いなる可能性を信じた品種であるカベルネ・フラン種。何年もの時間をかけ、少しずつその使用比率を高め、遂に2001年、待望のカベルネ・フラン種100%のパレオ・ロッソを実現させたのです。しかし皮肉なことに、これが生涯をワイン造りに捧げた男が瓶詰めした、最初で最後のヴィンテージとなったのです。2002年、エウジェニオの早すぎる死ーそんな悲しみも冷めやらぬ中、レ・マッキオーレの買収に数多くの資本家達が名乗りをあげたといいます。莫大な金額でのオファー。しかし妻のチンツィアはこの土地を手放そうとはしませんでした。エウジェニオと共に築き上げてきたもの、彼の意思と情熱は、そのまま彼女の意思と情熱でもあったのです。
現在ワイナリーでは、設立当初からの彼の右腕であり最高の理解者でもあったチンツィアが、家族と共にエウジェニオの遺志を受け継ぎ、ワイン造りを行っています。エウジェニオと共に、今も前進し続けるチンツィア。彼女は語ってくれました。「私は今でもエウジェニオと一緒です。私の考えは彼の考えだと強く感じます。これは彼が亡くなる前からもずっとそうでした。そしてこれからも...」。
新たなスタートを切った2002年は、天も彼を死を悲しんだのか、雨が多く大変難しい年でしたが、「パレオ・ロッソ ’02」や「メッソリオ ’02」が複数のイタリアワイン専門誌で最高評価を獲得。そして遂には「メッソリオ ‘04」がワイン・スペクテイター誌で「100点」を獲得し、頂点にまで達するという快挙を成しえたのです。
マッキオーレが出来るまで
「二人で歩んできた、マッキオーレの歴史」
1800年代までは、ボルゲリ地区の殆どの土地はアンティノーリ家か、インチーザ・デッラ・ロケッタ家が所有していました。ところが「イタリア」が統一され、共和国となった際に税金が高くなったため、多くの貴族が土地を手放して、税金を支払うための現金を得る必要に迫られました。今でもこの2つの貴族が一番多くの土地を所有していますが、これをきっかけに小さな家族がボルゲリの土地を少しずつ購入していったのです。
1980年代に入って、それまで有名だったトスカーナのワインはキアンティでした。当時はボルゲリを知っている人は少なく、また貴族が所有する土地が殆どであり、そして世間がワイン造りに興味がなかった当時、エウジェニオはボルゲリの土地の可能性を信じてワイン造りを始めたのです。当時ボルゲリで有名なのは海でした。ボルゲリでワインを造っているとは誰も信じていませんでした。サッシカイアというワインはとても有名でしたが、それでもボルゲリで造られているとは知られていなかったのです。
エウジェニオのお父さんがボルゲリで経営していたバールへ他所からきたお客さんが立ち寄り、サッシカイアを購入する時に、サッシカイアはボルゲリで造られていると話しても誰も信じてくる人はおらず、フィレンツェあたりで造られていると信じられていたのです。そんな時代ですから、1981年にエウジェニオが「ボルゲリという土地でワイン造りに賭けよう」と決意した時には、周囲の大反対を受けました。特にエウジェニオのお父さんは猛反対し、私(チンツィアさん)にもエウジェニオに止めてもらうように促して欲しいと懇願されたのです。しかし私は1度も反対をしませんでした。私は農家出身でしたから、エウジェニオが農家になることは全く抵抗がありませんでした。それに対しエウジェニオの家は商人の出であり、当時商人が農家になるのは不名誉なこと、家の名に泥を塗るような行為と捉えられていたのです。それからというもの、ワイナリーが有名になるまで、親戚中から挨拶もされなくなったのです。私達2人はボルゲリのテロワールの偉大さ可能性を信じていたので、ワイン造りは最初からテロワールを表現したものを造ろうとし、今に至るのです。
ゼロから始めた、研鑽を重ねる日々
「理想は、ブドウの樹が自然のままに自立していること」
2人で最初にワイナリー-を始める時に、ボルゲリには他のワイナリーが殆どなかったので、どのブドウ品種を植えたらよいか、栽培方法、密植度をどうすれば一番良いか、全てが手探りでのスタートでした。
【ブドウ品種】
ボルゲリは気候も土壌も恵まれていますが、どんな品種でもあうものではありません。特にトスカーナを代表するサンジョヴェーゼ種では、特筆すべきワインはできないということが分かりました。誤解が無いよう付け加えますが、サンジョヴェーゼで美味しいワインが出来ないということではありません。私達が理想とする品質のワインができないということです。その理由として、1つは気候にあります。ボルゲリは海岸沿いの暖かい気候ですので、内陸、特にキアンティやモンタルチーノと比べると寒暖差が少なく、サンジョヴェーゼで素晴らしいものは出来ません。そしてこの肥沃な土壌はサンジョヴェーゼに適しておらず、どちらかといえば痩せた土地に合っています。それに日照量の問題。ボルゲリの日照量はサンジョヴェーゼにとって多過ぎるので、過熟してしまうのです。内陸に比べると成長が早く、内陸のようにゆっくりと上品に成熟した、素晴らしいサンジョヴェーゼは出来ません。
【密植度と栽培方法】
一番初めに植えた畑は、密植度を1haあたり5,000株にしたシングル・コルドンでしたが、結果としてうまくいきませんでした。その次の畑は、同じく密植度を1haあたり5,000株にしたダブル・コルドンで、これもよくありませんでした。次に密植度を1haあたり7,500株まで上げた結果が良かったので、これを受けて密植度を10,000株まであげて良い結果を得られたので、現在12haの畑を密植度10,000株、栽培法はグイヨで栽培しています。
【何故私達はこのような研究をしたか?】
私達の目指すところはボルゲリのワインを造ると同時に、マッキオーレ固有のワインを造らなくてはなりません。昔はコルドンが伝統的にして行われていましたが、これではマッキオーレの理想とするワインが造れず、そして自分達の目指すべきものを分かるために、とにかく研究と経験が必要でした。だから色んな品種を植えて、栽培方法、密植度、選定方法、仕立てなど、様々な経験をつむことが必要だったのです。
マッキオーレの理念は、ブドウの樹が自分で自然にバランスをとることが大切だと考えています。ブドウの樹が、自分に生るブドウの実を少なくし、凝縮したバランスの良いブドウをつける。そのように密植度や仕立てを研究していったのです。確かにグリーン・ハーヴェストを行い、ブドウの実を減らすことは出来ますが、それはあくまで人の手によるものであり、ブドウの樹が自分でバランスをとってはいません。だから人工的にブドウを少なくするグリーン・ハーベストは私達の考え方、すなわち自立したブドウ樹を栽培することではないので、良くないと考えています。グリーン・ハーヴェストをしなくても、樹が勝手にブドウを少なくしてバランスをとってくれるのが理想の姿です。
亡き夫の意思は妻へ
トスカーナ州ボルゲリ近郊のビッボーナに1967年に生まれました。エウジェニオ・カンポルミ氏と20歳の時に結婚し、夫婦でマッキオーレを運営し、スーパータスカンのひとつまで登りつめました。2002年に夫亡き後も、コンサルタントのルカ・ダットーマ氏と協力しし、夫の意思を継ぎ、ワイン造りを行っています。
1964年生まれ。ヴェネトの コネリアーノ醸造学校で醸造学を修めました。
卒業後は数多くのワイナリーで修行を積み、若いながらもその才能を開花。醸造は経験に基づく洞察力、勘のようなものを必要とすると言う彼は、トゥア・リータ、ポッジョピアーノといった、トスカーナを中心に名だたるワイナリーのコンサルタントを経験し、その直感を更に磨き、イタリアワイン界の一時代を築いた醸造家として地位を確立しました。そんな彼を一言で表現するなら、「挑戦し続ける天才」と言えます。コンサルタントとして活躍すると共に、自身のワイナリー、ドゥエマーニでもワイン造りを行っています。マッキオーレでの醸造コンサルタントを行ったのは1992年から。その「パレオ・ロッソ 1992」がヴィニタリーでのフランスVSイタリアのカベルネ対決の時に一気に有名になりました。
夫婦の愛を紡いだボルゲリ至高のカベルネ・フラン
レ・マッキオーレは単一品種によるテロワールの表現に徹底的にこだわっており、その独特のスタイルによってその評価をゆるぎないものとしました。代表作となるのがカベルネ・フラン100%で造られる「パレオ・ロッソ」。エウジェニオとチンツィア、まさにカンポルミ夫婦が描いた夢の完成形です。
「ボルゲリのテロワール、ヴィンテージの個性を忠実に表現するにはモノ・セパージュ・ワイン」
マッキオーレを設立してから、30年程です。まだまだ歴史が浅いワイナリーです。しかし自分達が目指してきたものと、現在のワインの質はだいぶ近づいてきました。一般論ですが、ワイナリーを始めた頃はボルゲリは誰も知らない地域でしたが、今では有名になり、テロワールの研究が進んできたことがあるでしょう。それに加え、マッキオーレは「ボルゲリのワイナリー」ですが、「マッキオーレ独自のワイン」を造ろうとしたところにもあります。まだまだボルゲリは歴史が浅いので、各ワイナリーはその独自性を表現する為、自身の地所に関して更に研究をする必要があります。
他のワイナリーとマッキオーレとの最大の違いは、「マッキオーレがボルゲリのテロワールを100%表現できるワイン造りを目指し、研究したこと」です。積み重ねた研究のお陰で、ボルゲリに適応するのは外来品種、メルロー種、カベルネ・ソーヴィニヨン種、そしてカベルネ・フラン種などと判りました。一般的にこの地域では多くのワイナリーは、これらのブドウ品種をブレンドしワイン造りをしています。しかし、ブレンドの結果、インターナショナルな味わいのものが多く、受け入れやすいものの、個性に乏しく、ややもするとボルゲリのテロワールを体現していないワインが散見されるのも事実です。またワインをブレンドするとヴィンテージの差が少なくなります。毎年同じような品質のワインを造るのは容易になります。
単一品種ではこれが難しくなります。しかしマッキオーレはボルゲリのテロワールを表現し、各ヴィンテージの個性を出したワインを理想としてきました。それが出来るのは単一品種によるワインです。単一品種のワインを造りには、まず一切の妥協が出来ません。ミスが許されないからです。ミスをすればそれがワインにストレートに現れます。純粋で正直なワインを作りたい。その為には慎重に、そして一生懸命にワインを造るしかありません。インターナショナルなブドウ品種ではありますが、ボルゲリのテロワールを表現したワインが造りたかったのです。
マッキオーレは職人のワイナリー
マッキオーレの重要なポリシーはテロワールを最大限尊重し、最高のブドウを収穫し、高い品質のワイン造りを目指すことです。それには細かい作業を正確に実行し、こつこつ経験を積み上げ、研究していくことが重要です。素晴らしいワインを造るには、素晴らしいブドウを作ること。素晴らしいブドウを作るには畑を知り尽くすこと。毎年気候が異なると、毎年、樹のライフサイクルも異なります。畑の手入れの経験をつむことが大切ですし、毎日ブドウの状態を見ることも重要になります。マッキオーレでは自分の子供を育てるように、畑のブドウの樹を大切にしています。マッキオーレは毎日畑に入って手入れをしています。畑に何か異変があったら、すぐに対応しています。他のボルゲリのワイナリーからも、「ボルゲリで最も美しい畑」と言葉を頂いたこともありました。
私がお客様に「何故、サッシカイアやオルネッライアではなく、自社、マッキオーレのワインをお勧めするのか?」と質問されたら、こう答えます。サッシカイアはボルゲリのスター。ボルゲリが生まれたのは、サッシカイアのお陰です。スーパー・タスカンが生まれたのもサッシカイアのお陰。オルネッライアは巣晴らしいワイナリーで、ボルゲリでも規模がとても大きく、卓越したブレンドワインを造り、世界にボルゲリの偉大さを伝えています。それに対してマッキオーレは職人ワイナリー。職人と同じく、数量は造れないが、その道を追求し、最高のワインを造るために、小さなことからこつこつと磨き上げ、ボルゲリの偉大さを信じて、最高のものを目指したワイン造りを行っているからです。
ワインは赤ちゃんと一緒。セラーにある看板には「お静かに! ワインが眠っています。」
パレオとは、雑草のこと
パレオとは、「雑草」のことです。畑に良く生える雑草。1989年の初ヴィンテージの時に、春から夏にかけて畑の雑草がたくさん生えていて、これを処理するのが大変だったので、その思い出をワインの名前にしました。また、パレオのラベルに描かれている木は、レッチョという、ボルゲリ周辺によく生えている木です。
スクリオはトスカーナの方言で、人に対して使用する、「純粋」という意味。シラー種の頭文字「S」と混じり気なしのシラー種100%ということをかけています。(1994年がファーストヴィンテージ。)
マッキオーレが今のワイナリーを購入したとき、ブドウはなく、オリーブと麦ばかりでした。当時は麦を収穫することが一番大切でした。「メッソリオ」というのは、「麦を収穫する人」という意味。すなわち、「五穀豊穣」を意味しています。
マッキオーレ・ロッソのラベルは、NYのメトロポリタンで働いている方がデザインをしてくれました。ボルゲリにたくさん生えている糸杉が、道の真ん中に、ただ一本立っているイメージです。道の真ん中に植えているのは、「普通ではない」ことを表現しています。他のワイナリーとは違うことを表現しました。
ボルゲリ地区とマッキオーレの現在
ボルゲリ地区の中で、マッキオーレは小規模生産者に分類されます。それと同時に、ボルゲリ地区で最も歴史の古いワイナリーの1つでもあります。ボルゲリで歴史の古いワイナリーは6軒に限られます。サッシカイアのサン・グイード、オルネッライア(フレスコバルディ)、グラッタマッコ、グアド・アル・タッソ(ピエロ・アンティノーリ)、ミケーレ・サッタ、そしてマッキオーレ。
1997年の時点でボルゲリにあったワイナリーはこの6軒で、その中で一番古いのはサン・グイードになります。
当時、ボルゲリの畑の面積はトータルで300ha。その殆どをサン・グイード、オルネッライア、そしてグアド・アル・タッソのアンティノーリ系が所有していました。 マッキオーレが所有していた畑はわずか9haに過ぎませんでした。そして2008年現在、ボルゲリの畑は1,200haにまで広がりました。1,200haの畑のうち、950haがボルゲリD.O.C.を名乗ることができます。
ボルゲリD.O.C.のワインを造れる生産者は34社に限られますが、ボルゲリでワインを造る生産者の数は50軒以上に増えました。しかしボルゲリの畑の殆どは、今なお大手が所有しており、最も大きいところではアンティノーリが300haの畑を所有しています。その中で、現在マッキオーレでは22haのブドウ畑を所有しています。この先、畑の規模を大きくする予定はありません。というのも、これ以上ボルゲリで良い畑を探すことはできないからです。
ボルゲリの環境条件
ボルゲリはトスカーナの海岸沿いにあり、海から5km程内陸にあります。
海の影響により温暖で、ボルゲリ地区の北側にある小高い丘が、北からの冷たい風を遮る役目を果たしています。土壌は肥沃で、粘土質が適度に含まれています。石も多く含まれており、水はけを良くしています。
夏は雨があまり降らず、一年中風が吹き、ブドウは病気にかかりにくい土地です。北に囲まれた丘に雨が降ると、水はけの良い土壌を通って雨水は地中に浸透します。浸透した水はある深さで蓄えられ、雨が少ないボルゲリでも、ブドウが夏の暑さを乗り切れる役目を果たすのです。
畑の土壌をはじめとする自然環境が力をつければ、肥料は要らない
22haに3種類のブドウが植わっているマッキオーレの畑。 チンツィアさん曰く、とにかく畑の手入れが基礎で、大事なこととおっしゃっていました。 畑の手入れをとにかく行きわたせることで、健全なブドウが得られ、スムーズな発酵につながるそうです。
2002年に有機栽培にしてからは、酵母が上手く働き、発酵がよりスムーズに行えているようです。 科学肥料は使用せず、使うとしても動物の糞だけです。しかし、有機認証などは取得の予定はありません。認証の取得が目的ではなく、畑の土壌をはじめとする自然環境が疫病などの困難に克服する力をつければ逆に科学肥料は必要ないとの見解です。土壌の浄化の為に、畑のそばにマスタードを植えていることも一つの例です。
昔はコルドンが伝統的に行われていましたが、これではマッキオーレの理想とするワインが造れず、自分達の目指すべきものを探究するために、とにかく研究と経験が必要でした。多種多様な品種を植えて、栽培方法、密植度、選定方法、仕立てなど、様々な経験をつむことが必要だったのです。
マッキオーレの理念は、ブドウの樹が自分で自然にバランスをとることが大切だと考えています。ブドウの樹が、自分につけるブドウの実を少なくし、凝縮したバランスの良いブドウをつけるようにする。そのように密植度や仕立てを研究していったのです。
区画ごとに細かく分けて行われる収穫
驚くことに収穫は32区画に分けて行います。
その区画は土壌・ブドウ・熟成の違いを勘案し細かく分類しています。
ボルゲリでは珍しい、セメントタンクを取り入れることに
ボルゲリ地区では、ほとんどの生産者がステンレスのタンクが使っているのに対し、キアンティ地区ではセメントタンクを使っている、ということに興味を持ち、彼らは実験的に2003年からセメントタンクを取り入れはじめました。品質的にも、そしてなにより自慢のカベルネ・フラン種がよく出来たことから、将来的にカベルネ・フランは全てセメントタンクにしたいと考えています。
また、偶然見つけて使用を始めたのが、台形のステンレスタンク。最初は小さいタンクが欲しくて買ったとの事ですが、使ってみると、発酵による炭酸ガスに持ち上げられ、果皮は台形のタンク上部にたまりますが、デレスタージュをすると、果皮がタンクの中に撹拌し、また台形なので底辺付近は筒状のステンレスタンクよりも加重が分散するので優しくブドウジュースと接触することになるので、大変いい仕上がりになったそうです。
正真正銘、イタリアワイン界で最も愛されているワイナリー
イタリアソムリエ協会(AIS)が発行する、著名なワインガイド「ドゥエミラ・ヴィーニ」。このガイドに添付されている一般消費者を対象としたアンケート投票結果を元に、その年のベスト・ワイナリーが選出されます。最優秀ワイナリーの発表とその表彰式は、イタリアワイン業界、そしてTV放送局を初めとするマスメディアとともに、一大イベントである”Premio Internazionale del Vino 2009”にて盛大に行われるほどの注目度!!その輝かしい最もイタリア人に愛されているワイナリーの座を、2009年度にマッキオーレが見事獲得!”MIGLIORE AZIENDA E PRODUTTORE”、最優秀生産者に選ばれました。
資料提供:モトックス